モノを置くときの意識・無意識

「鍵、あったよ」と差し出された朝。
「どこにあった?」
「俺の作業着のポケット」

たまに小さい私の車を使うことがある夫。
週末、動かそうと思ってやめたのか、なんなのか。
ポケットにあった鍵は洗濯機のなかで、数日待機。
そのあと、洗われて、干されて、また袖を通される今日まで。
ずーっと待っていたのか、ごめんよ(笑)
お帰り、と頬ずりしたくなる気分。

なにより差し出す夫の気持ち。
どこにあったと詰問されるのは想定内。

素直に吐くか、架空の場所でみつけたと申告するか。
きっと心が揺れたであろうに、と葛藤を思うと笑えた。
にっこり笑顔で、「今日お弁当はいらないよね」と伝えました。
怒ってはいません、ラクをさせていただくだけ。

モノが探せないのは、戻す住所が決まっていないから。
でも、それ以上に原因になるのは、『無意識』に置くから。
チョイ置き、はだいたい意識があって、癖があって、時間がかかっても探せる。
ふと無意識に何かをしたとき、それって思い出せなかったりする。
そして意識がないから、思い出せないし、みつかりづらい。
もうひとつ、自分以外のだれか、が介入してるとき。
だれか、たとえば小さいこどもなら、もう、いつか出てくるまで待つしかない。
せめて自分でモノを置くとき、しまうとき、意識しましょう♪
と、片づけの話でしめます。

ほどよく、くらす

北海道在住、工務店勤務、榎本麻子です。 ライフオーガナイザー®︎で、整理収納アドバイザー。 くらしも仕事も「あそび」が大事。 好奇心のむくままに、私の好きなモノ・コト・ヒトつぶやきます。

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